ツインレイの呪い

幸せはツインレイにありましたか?

殿方様の愛の覚醒

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探してたものがどこにあるのか 

いつまで経っても辿り着けなかった

俯いていた日々を そっと支えて見守りながら

あたたかさと優しさで 包んでくれた君が送りものさ

 

君がいてくれればそれだけでいい

君が僕の幸せだよ

 

君の笑顔がここにあるから

僕は強く生きてゆける

君の存在 僕の愛が 探してたものさ

 

EXILEさん HOLY NIGHTより一部歌詞抜粋

 

 殿方様ってすごいですよね。

 

自分の幸せが、自分自身を満たすことではなく、

愛する人が幸せでいること、自分の大切な人や仲間が幸せでいることが「幸せ」なんですもの。

 

利他の心をもった愛情深い殿方様へと目覚めると、本当に眩しすぎて惚れてしまいますね。

 

ところでツインレイ世界で、とてもよく見ますね。

 

ランナーになった男性側

戻るのはいつなのか?

再会はいつなのか?

男性が愛に目覚めるのはいつなのか?

統合とやらはいつなのか?

 

男性側に何も与えていないのに、男性側の愛を欲しがるような感情になっているのならば、それはもしかしたら真実に愛していないのかもしれませんね?

 

例えば相手の方が既婚で奥様や子どもがいた場合、

不貞行為の事実があったり、嫉妬心や独占欲が芽生えているのならば、それは手放さなければならない感情であり、愛ではありません。

 

逆に自身が既婚だった場合に、子どもやパートナーがいるにも関わらず、悲しませるような行動をしたり、後ろめたいことをしているのもまた、愛ではありません。

 

相手と自分を取り巻く環境をも受け容れた上で、愛することができなければ・・・

 

女性は男性の大きな愛を受け容れることが出来ません。

 

男性が愛に目覚めるきっかけとなるのは、

愛する人から、愛されている、自分を信じてくれると理解した時です。

 

EXILEさんの歌詞のような、殿方様の愛を思い出させるには、愛する女性から愛されなければ目覚めることができません。

 

全てを愛する。

 

これらを試されます。

 

お相手の彼と、そして天に試練として与えられます。

 

それはもちろん、現実と魂レベルと両方からです。

 

現実が伴わなければ、それはただの妄想という名の虚像です。

 

必ずここに、

 

こんな自分でも愛してくれるか?という男性側の愛を確かめる行動を絶対に会っている時に試されているはず。

 

これこそが愛されているかの確認であり、男性側が愛しているというサインです。

 

そして出会いの設定やタイミングは自分自身と宇宙のタイミングです。

 

 

 

ここで絶対にこれはないなと確証をもったものをお伝え致しますね。

 

 

魂の絆を結ばせるための物理的距離という意味の離れの前段階で

 

・付き合っている事実があること

・SEXしていること

・今までの経験と相違ない恋愛と同じようなプロセスを辿ること

・異常な恐怖心や独占欲といった愛とセットになる表裏関係にある感情が生まれないこと

 

これらがなければ、物理的に未体験の愛を経験できるフェーズに入ることができません。

 

天の大応援団たちが、絶対に全力で阻止にかかるはずです。

 

そもそも近づくことができないでしょう。

男性が女性を愛しすぎて、大切にし過ぎるからです。

 

幸せにする。とは責任を負うということですから。

 

既婚

稼がない

女性側にパラサイトする

家族間でのトラブル

などなど・・・

 

女性側に幸せでいて、笑顔にできる世界を創ることが出来ない要因が1つでもあるのならば、男性側は安易に交際したり、身体の関係をもつことはありません。

 

仮に交際やSEXが先なら、男性側が愛よりも自分の欲望を満たしたいという利己の思いが根源となっているからです。

 

女性側が既婚、男性側が独身ならば、女性を愛しているからこそ、女性の周りにいる家族を悲しませないよう、手を出すことは絶対にないでしょう。

 

身体の交わりというものは、宇宙ルールではとても神聖な儀式です。

 

健やかなる時も病める時も、死してもなお、共に在ることを誓い合う契りです。

 

それは「婚姻届」といった意味ではありません。

 

真実に愛するための現実的且つ魂レベルで全ての準備が整った時です。

 

男性側の覚醒エネルギーにもなります。

 

もし・・・

唯一無二の愛する真実の人と…

準備段階前、不純物を削ぎ落とす前に身体の交わりがあれば・・・

 

精神が破壊され、廃人となるでしょう。

依存が抑えられなくなり、

憎しみ、憎悪へと代わり

自分を失い、壊され、

 

自殺や殺人…といった悲しい結末を迎えるからこそ、守られているんです。

 

信じられないですか?

この感覚が信じられないならば…

真実の相手とは異なっている可能性があるかもしれません。

 

愛と憎悪は紙一重

その境界線は、

不純物があるか否かです。

 

距離を置いて互いが現実を共有した時に、純粋な愛で確固たる自分を形成し、共に生きるために必要だからこそ、物理的距離を置くことは必要不可欠です。

 

狂愛=真実の愛

 

自分を見失うくらいの愛こそが本物です。

そこから

真に相手を思い遣る、真に愛するために自ら試練の渦中に身を投じ、相手を傷つけない愛を探求する決断こそが

 

真実の愛へと向かう切り替えポイントです。