絆を信じるために試練がある
試練って悪いことのイメージに思われますが,これもまた人間的成長,魂の成長のためには「試練」は不可欠です。
そして神様は乗り越えられない試練はお与えにはなりません。
乗り越えられる前提で与えられるわけですから,自分のやりたいように楽しんで,とことん悔しがって,泣いて,怒って,絶望して・・・
心の中で「なんとかなるさ!」精神で楽観視することが
「全てを委ね,信じ切ること」これに繋がっていきます。
様々な削ぎ落としの先に,次のステージが見えてきます。
とってもとってもシンプルで,楽で,自由で,軽やかに生きることができるわけですね!
学ばされることもたくさんあります。
与えられるものが少なければ少ないほど,失えば失うほど,様々なことに感謝を感じることが出来ます。
そうすると「幸せの閾値」が下がるのですね。
「非日常」が要らなくなりますし,「日常」が奇跡だと気づくことが出来ますから日々の生活にたくさんの幸せが散りばめられていることに気づくわけです。
毎日の「当たり前」が「当たり前じゃなく奇跡」だと気づいたとき,人は感謝を知ります。
ツインレイだか何だか知りませんが,その役割と関係性がなければ「幸せ」になれないならば,そのお相手は果たして「本物」なのでしょうか?
それって無償の愛でもなければ,無条件の愛でもない。
ただのその辺に多くある条件付きの愛に飾りを付けたに過ぎないのではないでしょうか?
何者でもない,ただそのままの「あなた」が大好き!
それでいいのではないですか?
その「出会い」自体が奇跡だと気づかせるための試練です。
見つめ合う。
手を伸ばせば触れられる。
笑顔を見ただけで幸せになる。
会話ができる。
名前を知っている。
これまで当たり前だと思っていたものが「当たり前じゃなかった」
その気づきのために離れ,各々が奇跡だと気づかされるための試練。
そして・・・・
互いの存在が全てで,かけがえのない自分の命に等しい存在だと悟った時・・・
(殿方様の方は自分の命よりも大切だと思っているでしょう)
出会いの奇跡を全ての方々に感謝が出来た時・・・
もう一度出会い直して,そこからまた2人の道が始まるんです。
出会いの奇跡に恩返しする人生へと変わっていくのです。