全てを一旦破壊,喪失する理由
人は、生まれ持って与えられたものは
「当たり前」
「普通」
「常識」
そう思うものです。
「健康な身体」
「裕福な経済」
「衣・食・住」
「才能」
などなど・・・。
そしてそれらのたくさんの「与えられている奇跡」に気づくためには
一旦全てを失わなければ、今まで「あった」ものが「当たり前」ではなかったのだとやっと気づくことができるのです。
真の運命の人との出会いは、天の計らいか、もともと出会えばそうなる宿命なのか・・
本当に不思議ですが相互作用でしょうね。もともとは魂が繋がっているのですから。
全てを失います。
普通なら絶望して自殺してしまうくらいに。ですが、違います。
這い上がる力は「互いの思い合う愛」が最強のエネルギーとなって立ち上がらせます。
失った時に気づかされます。
「全てが奇跡だった。生き永らえていることさえも。」
「そしてこの出会いも・・・」
出会うことの尊さ、愛おしさ。その全てに感謝することができるからこそ、破壊は必須事象です。
互いに言葉を交わすことが出来る。
互いに見つめ合うことが出来る。
手を伸ばせば触れられる距離に愛する人がいること。
同じ空気を共有できること。
もう愛する人がいれば、何も要らないんです。
「ツインレイ」などという存在証明なんか、即ごみ箱。必要ない。
シンプルに世界で、宇宙で「あなた」の存在が私の中の真実。
そこにどんな証明も要らないし、必要がない。
あなたが私に真実の愛を教えてくれた。
愛すること、愛される体験。その全てが幸せ過ぎて、尊過ぎて・・・
だからこそこの世の全ての物質的なものを手放しても心から幸せだと感じることが出来る。
そしてあなたを通して、私の周囲にいる全ての方々へ向ける愛し方まで教えてくれた。
愛に形がないこと、愛し方にはたくさんの種類があることさえも教えてくれた。
真実を見抜く「瞳」をくれたのはあなただった。
真実の愛をもらったからこそ、愛溢れる世界へとあなたが運んでくれた。
だからこそ気づけた。
「ツインレイ」が真実ではないということに・・・