愛を伝えることの怖さ
もし・・・
あなた様の人生が、こちらのブログで書いたように
常識やこうあるべきというという社会的常識というものに抑えつけられ、自分を表現することを許されなかった人生だったならば・・・
「愛を表現する」
「愛を伝える」
ということが、どんな意味を成すかおわかりですか?
抑圧してきた
・自分の感情
・自分らしさ
・自己表現
・自由な思い
これらを恥も外聞も捨てて
「言葉で伝える」ことによってその抑圧されてきた、束縛されてきた不自由な世界から脱するきっかけを意味するのですね。
今までの常識や世間体、外聞を気にして生きてきた方々が
自分を放つ
自己表現をする
自由に感情を出す
これらを自分に許可していいんだよ!!
それを教えてくれるのが愛する人なんですね。
そこに「ツインレイ」って要らなくないですか?
理屈じゃない溢れる思い
今まで体感したことがない感情
目に見えない絆を信じざるを得ない出来事
などなど、今までの未体験の現実や体感を
「ツインレイ」に一生懸命当てはめようとする行動の先に、一体どんなメリットがあって、具体的にあなた様にどんな幸せをもたらしてくれるのでしょうか?
結局は、自分の思考内で終わるんです。
多くの人たちがツインレイにしがみ付いても、何か月も、何年も変わらない状況に不安を覚えて
「思考の現実化」「卒業」「手放し」といったようなワードが、多くの検索サイトで検索されているのがその証拠です。
所謂妄想や幻想、お伽噺で終わってしまうツインの真実を知り始めたわけですね。
だって現実に落とし込むことが物理的にできないんですもの。
特に感情や自己表現を放つことが許されなかった人生を送ってきた方々にとっては、ツインレイの世界観は現実を動かす必要なく、安易に手軽に浸れますからね。
とっても都合が良く、非日常という感情体験ができる逃避ツールですね。
現実はそんなに甘くはありませんよ?
思いを現実で表現するということは
「清水の舞台から飛び降りる」ことと同じことを意味するでしょう。
恐ろしいことです。
とても怖いでしょう。
ですが!!!
あなた様の愛する「真実」の相手なのだとすれば
愛するお相手がその清水から飛び降りた下に腕を広げて受け止めてくれることを知っているはずです。
だからこそ、無茶が出来る。
だからこそ勇気をもって自分を放つことができると思うのです。
思考だけで
「ツインレイ」だなんだって訳の分からない役割を自分に与えて、現実世界に変化をもたらす勇気が出ないのならば・・・
それは顕在意識でツインだという下らない思考があったとしても
飛び込むことができないならば・・・
それは、舞台の下で相手が腕を広げて受け止めてくれないことを潜在意識、つまり魂が知っているからこそ、ストッパーをかけているのです。
ということはですね、
愛する「真実」とは異なる。
動けないのであれば、愛し合っていないし、信頼していないという現実的な結論に至るという結果になるわけなのですね。
内面でいくら変化があったとしても・・・
感情が変化しても・・・
そこに現実の変化を伴い、自ら飛び出すことができなければ・・
それはあなた様にとって、現実で愛を体現していない。つまり愛していないし愛されてもいないのだということです。
全て「現実世界」が結果であり、結論です。
感情や内面が変化した?
その先は?現実は?
そこはまだスタートラインにすら立っていないという現実を受け止めるべきです。
今ある世界を飛び出すことができた!
ここからがやっとスタートラインに立てるということ。
「ツインレイ」の世界に浸るということは、永遠にその夢の中から抜け出せないということです。
鬼滅の刃 下弦の鬼:偃夢のようなツインレイヤーの血鬼術「強制昏倒催眠の囁き」にかかっている状態です。
早く目覚めて下さいね。幻想ですから。