自立の意味を考える
自立:1人で立ち上がる力
ツインメソッドなんかで
「女性は自立が必須」
「精神的自立と経済的自立が必要」
な~んて書かれているものがほとんどですね。
ツインレイになりたかったら、男性を愛したいならばそうしなさい!
という一種の強制力と束縛です。
またまたツインレイ枠に当て嵌めようとしている行動なのですね。
自分を生きるというより、ツインレイを軸にした他人軸です。
自称ツインレイヤーを信じるよりも自分自身と愛する人を信じる方が絶対にいいです!
このわたくしのブログももちろん例外ではありません。
参考程度!にご覧になっていただきたいのです。絶対に鵜呑みにしてはなりません。
信じるべきは、あなた様自身の心とあなた様の愛する人や信頼できる人たちです。
参考程度に
わたくしの思う自立心とは
なんとかなる。
どんな状況に置かれても幸せ探しができる。
自分の選択こそが間違いない。
自分を信じること。
自分の周りの人間関係を信じ切ること。
これらのマインドこそが自立心だと思うのです。
自ら立ち上がる。
これは1人で生きていくために、経済的に自立するとか精神的に依存しない。
これとはちょっと違うかなと私の物語ではそう思います。
人は決して1人で生きていくことはできません。
周りの素晴らしい人間関係に助けられてこそ成り立っています。
自ら立ち上がることをサポートしてくれる人たちがいることに感謝をしなければなりません。
私の悟りの1つとして
未来は決まっていて、それを逆算した現在と過去があると思っています。
自由に選択できるという見解もありますが、そうすると宇宙規模目線で考えた時に各々がエゴや欲も全てを含んで自由選択をしてしまえば、世界の調和が破壊されてしまうんですね。
自分が悩んで決断したこと、悩み抜いて選んだ道というのは、実は既にその未来に行くことは必然であり、決定事項。
大切なのは、道ではなくそのプロセスで経た自分自身の在り方と成長だという考え方。
自分自身の在り方と思考こそが大切であり、その学びこそが現世での役割だと思っています。
それを分かった上でマインドの在り方を変えていけば、自分に自由を許可することができます。
結果は期待しない。世の中にある幸せや不幸、勝ち負け、ステータスなどのくだらない地球指標を全て捨て去った先にある悟りです。
現実世界は大切ではありますが、
最も大切なのは与えられた現実世界にいる「自分自身」
今、何を思い、何を考え、起きた事象に対しどう対処し何を悟るかです。
ちょっと難しいですよね。
簡単に言ってしまえば、気分や直感で生きていたって大丈夫だということです。
その代わり、全てが自己責任で全てが自ら選んだ選択です。
例えるならば、
私は2歳でダンプカーに轢かれる事故に遭っているのですが、
その時私は道路を隔てた向かい側にあるアイスクリームが食べたいと泣き喚いたそうです。
仕方なく、母が弟をおんぶをして私のワガママを叶えてくれるために起こした行動が事故へ繋がりました。
全部自己責任なんですね。
選んだのは私。
そして私の選択に家族を巻き込んだわけです。
魂の中では、自分が事故に遭うことを知っていて、敢えて自ら事故に遭うことを選んでいる。
そういう考え方です。
「事故」というワードだけで
・災難
・気の毒
・不運
・不幸
といったネガティブな思いになりがちですが、それは違います。
幼い頃からなんとなく、自分の宿命だと分かっていたので治療や手術に恐怖はありましたが、不満はありませんでした。
むしろ家族の絆が深まり、両親は身体障がいを負った自分も含めて愛してくれているからです。
そしてもう1つの未来確信があります。
もし私があの事故を経験していなければ、私はサイコパスの快楽殺人鬼になっていただろうことを知っています。
自分の中に眠る残虐性、共感力の欠如、
悲しみや人を慮る心が著しく欠落していました。
私の心には道徳や倫理感が皆無だったんですね。
教科書で教えられても分からない。
だからこそ、
もがき苦しむような痛み、死への恐怖、思う通りに動かない身体
友人の死を目の前にした時の思いや家族の愛・・・
事故によって「愛」を学びました。
人を傷つけないこと、人を慮ること、人を愛すること・・・
体験しなければ私は理解することができなかった。
だからこそ、この偶然すらも自身が引き寄せている現実なんですね。
ちょっと話が逸れましたが・・・
自立という意味は
自分の選択を誰かのせいにしない。
全てが自己責任だと悟ること。
それこそが自分の信じた道を貫く、つまり自立ということではないでしょうか。
誰かに感謝をすることはあれど、誰かのせいにして恨むということはあってはならないことなのです。