ツインレイの呪い

幸せはツインレイにありましたか?

シンプルでいい

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思いってシンプルでいいんです。

 

好き?

 

嫌い?

 

大好き?

 

大人になって年齢を重ねていくにつれて、様々な不要なものや不純物が付着して、積み重なって・・・型に嵌って、生きづらさを感じるんです。

 

運命の人との出会いは、強制的にデトックスをさせられます。

 

そうすると・・・

 

余計なことを考えることなく

 

「私って・・・彼のこと大好きなのね」

 

もうこれだけで十分なんですよ。

 

 

ツインレイだ、ツインソウルだ、ツインフレームだ、運命の人だ・・・

 

自ら複雑に糸を絡ませて、迷走させているのは自分自身です。

 

何者でもない・・そのままのあなたが大好き!

 

それでいいじゃないですか。

 

一体自分と愛する相手に、どんな役割を演じさせようとしているのでしょうか。

 

それは自らを鎖で締め付け、自分で自由を奪っている行為です。

 

ツインなんちゃらに何を求めているでしょう?

どんな結果を求めているのですか?

どんな情報を見つければご満足ですか?

 

ただ傍にいて

見つめ合って

笑いあって

手を取り合って

横で並んで歩いたり

時に喧嘩したり

共に涙したり

 

そんな一刻一刻の当たり前のようで当たり前じゃない、奇跡でかけがえのない共にいる時間が幸せではないのでしょうか?

 

そこにツインって必要ですか?

 

「ただ共に在ること」これでだけでいいはず。

 

そこに関係性やカテゴライズは必要ないはず。

 

相手や自分に「役割」を与えて何者かになろうとする、相手をその役割に当てはめようとする・・・それってとってもとっても悲しいことです。

 

だって役割を演じなければならないのだから、共に過ごしたってやがて訪れるのは不満や不信感という思いだけです…