体験しないと絶対に分からない
1つ改めて実感したことがあります。
「真実の愛」
これは体験と体感,実践,実行がなければ決して理解することができない領域なんだと良く分かりました。
なぜかというと
こればかりは本当に自分の中でしか分からないからです。
だからこそ,他人からの物語を読み込むことは参考にはなれど,それを
実践,実行することができなければ
机上の空論で終わるんです。
それは当然の結果なんです。だって現実を変えるための努力も実行もしてないのですから。
ほとんどのジプシー化した方や自称されている方の発言を伺うと
日本語という言語は理解できるけど,体験がないから根本理解と共感ができないため,会話が成り立たないという現象が起きます。
自称ツインレイヤーにしても
ツインジプシーにしても
ツイン信者にしても
結局は各々が実践,実行しなければツインレイという言葉だけを追いかけたところで,読み漁ったところで無駄と徒労に終わる可能性の方が高いです。
1つ1つを腑に落としていく作業に
飛び級もなければ留年もない。
教科書だけを読んでいたって分かりません。
受験で例えるならば…
受験対策と過去問をずーっとやっていたって
「受験の手続きをする」
「受験会場に行く」
「試験を受ける」
このプロセスを踏んだ「動き」と「行動」をしなければ
頭の知識が全く役に立たないし,無意味になるんです。
過去問をやっていたって実際に受験したら今までと違った傾向になることだってある。
知識を入れたって実際に
「試験を受ける」行動をしなければ結果が当然でないことと一緒。
真実の愛を体験したいと思っているのに,ツインレイの情報だけを読んでばかり。
脳内で妄想を繰り広げ,目の前の現実生活から逃避をしている方がほとんどです。
やってみないと,実践と実行しなければ分からないのに、恐怖や不安が邪魔をして勇気を出せず、行動に移すことができないでいるんです。
ツインレイ信者やジプシー,スピリチュアルに傾倒するツインレイヤーたちのほとんどが
「実践」していません。
「やってるつもり」「手放したつもり」
「頭でわかってる」
そう思っているだけで…
それに気づくことができるのは,今日この瞬間という一刻一刻の積み重ねの先に出た自分の行動という名の結果が出た時です。
「真実の愛」を思い出し,本来の女神性という目覚めの自己容認プログラムに乗っかっていることに気づけば,自ずとツインレイ概念の視点がそもそも根底から異なることに気づかされます。
学びに飛び級も特進クラスもありません。
本当にぶつかってぶつかって…
ぶつかり倒す。
七転び八起きの連続の先に見つける悟りです。
ツインレイ神話を読んだところで何の意味もありませんっ。
仮にツインレイなるものが地球最後の転生だとしたら…
コツコツ小学校算数から始まり…
足し算や引き算…
中学、高校と微積分や数列を学び…
やっと数Ⅲを理解,習得できるのは
小学校算数からコツコツやってきたからこその学びです。
基礎土台という学びをやらずに…
ツインレイばかり読み漁っていたって…
それは
小学1年生の子が高校の数学Ⅲの教科書を見て理解しようとしているのと同じなのかもしれません。
「分かったつもり」
「やってるつもり」
「理解したつもり」
本当に真実のツインレイがあるのならば、
ツインレイを自称することや選民思想、メソッドを学び,憧れ,信仰するということ自体が本当にお門違いです。
根底から違う。スタートからして違う。
そもそもの視点が違うのではないでしょうか。
澱み切った
「俗世間的マジョリティツインレイ」には
なーんにもないです。
オワコンツインレイにしがみつくことは,本当に時間の無駄なんです。